【プロフィール】脊髄損傷になっても、前よりも楽しみを倍増させているどばっしーです

2014年9月に高所から落下してしまい15本の背骨を折る脊髄損傷になったどばっしー。2年間の入院生活を経て、自宅に戻ってきてから、徐々にベッド・車いす生活でも、楽しさを作るようになっていきました。このブログでは、脊髄損傷の方に、自分のおすすめなものを紹介して、少しでも楽しい生活を送ってもらえたらと思っています。

【脊髄損傷の楽しみ】高校時代は、高校野球部

高校は、進学校の東京学芸大学附属高校に通っていました。しかし、東京学芸大学付属小学校、中学校とエスカレーターで上がってきたため、高校では落ちこぼれでした。成績も360人中350番くらいでした。

そんな高校時代に熱中していたのは、高校野球でした。1,2年生はセカンドを守り、3年生ではレフトやライトを守っていました。

進学校とはいえ、部活はかなり本格的にやっていて、3年の夏まで部活をしていました。そのためといっては言い訳になりますが、早稲田大学を第一志望に落ちて浪人することになります。

浪人生活の後、早稲田大学理工学部に入学

念願の早稲田大学に入学します。浪人生のときは、東京大学も受けていますが(落ちましたが)第一志望は早稲田大学でした。その理由は、高校野球のときに遅刻したり何か罰を受けることがあると、罰ランといって、長距離走を走らされていました。

その罰ランが気に入ってしまい、長距離を自主トレで走るようになったのです。そこで、いつからか箱根駅伝に出たいと思うようになり、今なら青山大学とかが強いですが、当時強豪だった早稲田大学に入りたいと思ったのです。

箱根駅伝には出場できず、大学院を出た後、ベンチャー企業の手伝い

箱根駅伝には出られないばかりか、記録が出ず競走部にすら入れませんでした。そして、大学院に進み、博士課程にいるときに、環境事業の立ち上げをしている社長さんに出会い企画書をまとめたりする手伝いをすることに。

燃やさない焼却炉や、砂漠緑化、真空管の中に移動車を乗せる新しい乗り物などアジア各国に提案していきました。社長さんは、ベトナムの副主席に企画を受け取ってもらったりまでいったのですが、いつもあと一歩で進みませんでした。

まだ現在も活動はされており、私もホームページを作ったり手伝っていいます。

WORTH ENTERPRISE Product
WORTH ENTERPRISE deals with innovative environmental products originating in Japan.

2014年9月高いところから落下し脊髄損傷に

2014年ある合宿に参加していたときに、ふみはずし、高いところから落下してしまいました。15本の背骨を折る脊髄損傷です。頸椎も折れていたのですが、不幸中の幸いで、影響は少なく、肘に痛みが残る程度で手は動いています。

おへそから下あたりから感覚がない状態です。

骨を折ったときに、脾臓、胆のうを摘出しており、心臓近くの血管も破れており、ステントが入っています。5つか6つの手術を受けたのですが、麻酔で眠っていた私は、2週間寝たまんまで、気づいたら手術が終わっている状態でした。

母親の姿を見たときは、とても嬉しくなってしまいました。

リハビリ病院などに2年ちょっと入院してから、無事帰宅

その後、リハビリ病院などにいながら2年ちょっとが経ち自宅に戻ってきます。また記事でも書きますが、リハビリは動くところを使っていかに生活していくかのリハビリだけです。もう一度歩けるようになるというリハビリは当時はほとんどありませんでした。

しかし、今は、再生医療や脊髄損傷専門のジム、電気針などで歩けるようになっている脊髄損傷の方がいます。私自身も自分で治癒させるヒーリングや、電気針、歩けるようになるリハビリして歩ける日を目指しています。

家では、両親が介護してくれることになりました。

徐々に仕事するように

パソコンを使って、徐々に仕事するようになりました。私は、年金の納付条件が満たされないということで(手違いが一つあったと思うので、今、是正のお願いをしているところです)、障害年金を受給できていません。

ここ最近、お母さんが脳梗塞になり施設に入っているようになり、父親一人に介護してもらっています。もし父になにかあったらと思い、わずかばかりでも仕事し始めています。

それでも、脊髄損傷の痛みがあり、おむつ交換や車いすに乗った後は、ヒーリングで痛みを直してからでないと、パソコン作業ができません。

ちょうどヒーリングしながら動画を見て楽しさをチャージし、そのあと、パソコン作業で仕事に集中という感じです。

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